判官贔屓はいつまでも
夢をぶち壊すようですが
人生50年の時代に、ほぼ寿命を全うしている年齢である
ゲームやマンガの影響で、美男子・美丈夫とイメージが着いているが
大坂城入城時は、歯が抜け白髪になっていたと記録が残っている
豊臣家より招聘され入城したものの
城門で、山賊・不審者と間違われ止められたとも言われている
大坂の陣にて、勇猛果敢に徳川勢相手に立ち回った事
またこの戦により、焦土と化した大坂に
徳川に大した真田信繁の姿は、一輪の華であったのだろう
その後、徳川の世になり、
真田信繁をおおっぴらに語ることは憚られた結果
太閤人気・徳川憎しの大坂商人の心へと
通じる者があった真田信繁は「真田幸村」として講談に登場したのだろう
太閤に庇護された大坂天満宮にも、
真田信繁をモデルにしたお迎え人形が
「佐々木高綱」の名で作られた
大坂の見る者は、それが真田信繁であることを理解していたという
このような話は、判官贔屓と言われ
その語源となった源義経も実は
チビで、出っ歯であった
美丈夫・美男子であったのは、兄の源頼朝であったという
日本人の心の文化とて、「
判官贔屓」は脈々と受け継がれている証の一つだろう