海の正倉院
素戔嗚尊の娘とされた
宗像三女神をそれぞれ
沖津宮 : 田心姫神
中津宮 : 湍津姫神
辺津宮 : 市杵島姫神
に奉る神社
これ(↑)は神話の話だが、
魏志倭人伝にはこの周辺に奴国があったとのこと
「漢委奴國王」で知られる金印を授与された奴国である
また魏志倭人伝には、人々の様子を「皆黥面文身」と記しており
つまりは、カラダに入れ墨を入れているとのこと
これは、宗像=胸形と通ずる所もあると言えるのでないか
これの入れ墨は、海人族が行うもので
素潜り漁では、ウミヘビ避けなどの意味もあると言われている
おそらくはこの頃から、原始の宗像大社は存在していると考えられる
この「みあれ祭」の原型も古代からあったのであろう
そう考えると現在は漁船で行っているが
このような古代船、行われていた可能性もある
世界遺産に登録された際には、このような復元船で勇壮な姿を見てみたいものだ